「神々の住む山」。国境を持たない山岳遊牧民たちは、彼らを見下ろすカラコルムの白い峰々をそう呼ぶ。K2(チョモランマ)、ガッシャーブルム、ナンガパルバット、チョゴリサ……。世界の高峰を惜しげもなく連ねた山脈群は、極限の陶酔感を忘れられぬ山男にとっても、水の妖精に魅入られた釣りびとにとっても、聖なる高地だ。
日本列島が梅雨にすっぽり覆われる野外写真家受難の6月末、ボクにとって毎年恒例になった義務と惰性と巡礼者の宿命のような9度目のカラコルム行きの旅が始まった。
ボクがこの地の虜になってしまったのは、かれこれ30年ほど前だった。当時はコマーシャル写真家として厚化粧のモデルや雑多な商品相手にそれなりに稼いでいた。だが、世界を駆け回る民族写真家か報道写真家になりたいという学生時代の夢も捨てきれずにいた。そんなわけで、カドのすり減ったニコンFを道連れに、ヨーロッパ、中近東、西南アジアなど世界各地を駆け回った。
パシュトウーン族、ハザラ族、パンジャブ人、アラブ人、クルド族……。眼光鋭く精悍な顔立ちの人々に会うごとに、興奮と、衝激と、感激を胸にシャッターを切った。
そんな中でボクを最も引き付けたのがパキスタン北西部のカラコルムだった。標高8000メートルの山並が連なる極限の高地に生きる山岳遊牧民たち。彼らに出会った瞬間に、今までにない衝撃と戦慄を覚えた。前世からの宿命のような、因縁のようなものを感じたのである。そして、それからはコマーシャル写真で稼いだ金をつぎ込んでは、ヒンズークシュやカラコルム一帯を移動する遊牧民を追いかけるようになった。残念ながら、その膨大な写真は日の目を見ることも、現金に換金されることもなく、若かりし時代の夢をむさぼるようなカビに侵されつつ机の中に眠っているのだが……。
11時30分、南回りパリ行きのPIA(パキスタン・インターナショナル・エアライン)は定刻に成田を飛び立った。途中、北京で給油の為に約1時間のトランジット。飛行機は給油と整備に手間取り、予定から40分ほど遅れて北京空港を飛び立つ。
しばらくすると細かな傷のついた小さな窓にゴビ砂漠、天山山脈、タクラマカン砂漠、チベットなど、自然の大パノラマが広がってくる。そして、大地を黄金色に染めていた太陽が西の空に沈むころ、眼下にはグレーとシルバーの銀版写真のような、ネガティブなカラコルム山脈の雄姿が迫ってくる。遠くに視線を移すと、世界の最高峰K2が雲間から険悪な岩肌をむき出しにし、すべてを拒絶するような挑発的な雄姿をさらけだす。
その驚異的かつ壮大な景色の呪縛からやっと解放されると、飛行機は徐々に高度を下げる。そして、眼下にオレンジ色の心許ない街灯りがちらつくと、そこはパキスタンの首都イスラマバードだ。
タラップを降りると、撮影小道具のスモーク・マシーンから吐き出されるような細かな灰色の霧が渦巻き、昼間の猛暑を予感させるなごりの熱がアスファルトから沸き上がってくる……
協力/ティムコ・ゴールドウイン