1998年の4月からサハリン(樺太)ではタイメン(イトウ)が全面禁漁となった。資源保護のためである。ところが、とあるルートを通じてタイメン釣りの特別許可を入手できるとの情報が入った。特別許可などという特権的な釣りはアンフェアな響きがあって嫌いなのだが、アングラーの悲しさ、こんな機会を逃す手はないと、早速サハリンに飛ぶこととなった。
函館からサハリンの州都ユジノサハリンスクまでは双発のプロペラ機で2時間。函館空港の端にある国際線ターミナルから週3便のフライト。機内はサハリン北部の原油景気で一儲けをたくらむ商社マンや中小企業の経営者、そして巨大タイメンに挑む我々で満席。
振動の激しい双発機は宗谷海峡を越えてすぐに高度を落とし、南北1000キロ、総面積7万4千平方キロのサハリンの州都ユジノサハリンスクに着陸した。空港からユジノサハリンスク駅に向かう途中には、建築途中で投げ出したようなビルや修理もせずに放置した船などが目立つ。集合住宅なども壁面がひび割れ、修理している様子もない。
ユジノサハリンスク駅に隣接したホテルに荷物を解く。正面広場には巨大なレーニン像、その片隅ではショールで頭を被った老婆たちが自家栽培の野菜や手製のピロシキを売っている。
自由市場は雑多な商品を扱う露天や客で混み合い、営業許可書を入手できない人々が商品を手に警察と追っかけっこしている。
経済が低迷しているとはいえ、品質の善し悪しは別にして商品そのものは豊富である。タックル・ショップも二軒あり、ロシアン・スタイルの太鼓型ブリキ・リールやロシア製のラパラ擬きプラグ、北欧産のルアーなどが陳列されている。物価は想像以上に高く、安く感じられるのはウオッカくらいなもの。
今回の特別許可を入手してくれた日本人が経営するクラブに勤めるホステスに昼間の職業を聞くと、OL、看護婦、市幹部の娘、自由市場の売り子など、様々な昼間の顔を持っていた。だが、北国育ちの辛抱強さからか、ウオッカを水のように飲み干してカラオケマイクを握る八頭身美女たちを見る限り、共産圏に抱いていた暗い陰のような一面など微塵も感じられなかった。どこの国にも共通することだが、庶民はしたたかなのである。
さて、ウオッカと共にベッドに沈没した翌日、巨大なタイメンが生息するサハリン北部のノグリキに向かう。
ユジノサハリンスク駅から旧日本軍の施設した線路をドイツ製の車両で北上する。放置された工場跡や荒れ放題の牧場、そして手つかずの原生林などを車窓から眺めながらの15時間だ。
サハリンの列車の旅は想像以上に快適。客室は4人用の個室で、夜になると寝台車に変身する。車掌や駅員は総て女性。ワインとバラの花束とチョコレート、この3点セットを車掌さんに手渡しておけば、痒いところに手が届くようなサービスを受けられる。なにせ、15時間の長旅で停車駅は十カ所にも満たない。当然、車掌さんは退屈。そんなわけで、彼女たちはアルコールの匂いを敏感にかぎわけて我々の客室を訪れ、宴会となる。ちなみに、うら若い車掌さんを一度も見かけたことがないことを断っておこう……