ヒンドゥークシュ
Hindukush
 
 
スワート渓谷のその奥カラーム
ゲリラに脅えつつインダス川源流部のトラウトに挑んだ
リスクを恐れていては秘境のアングラーになれない
It is said that this area has several trouts.
Snow trouts, mountain trouts , golden trouts, and so on.
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 ラーイ・ラハ・イララホ・モハマドール・アーリ・ルーラ……。凍てつく大気を切り裂くようにコーランの大音響が響き渡る。ここは、パキスタン北西山岳地帯、仏教美術の粋を極めたガンダーラ文明の拠点スワート渓谷だ。
 紀元前334年、ギリシャのアレキサンダーは宿敵ペルシャ軍を支配下に収め、さらに5万の軍を率いてアジアを目指して東征を開始した。エジプト、バビロン、ペルセポリスと兵を進め、紀元前327年、アフガニスタンのカイバル峠を越えてスワートに侵入したのである。だが連戦連勝を誇るアレキサンダーも、この地を支配していた勇猛果敢なパターン族の執拗な抵抗にあい、ついに東征の夢が阻まれる。そして、その壮絶な戦いの最中に、「その美しさは桃源郷のようだ」とアレキサンダー大王が感嘆のため息を漏らしたのがスワート渓谷である。
 スワート渓谷は、チベット高原に端を発してカシミール地方からパキスタンのタール砂漠を縦断してアラビア海に注ぐ約2900キロの大河インダスの支流のひとつスワート川の浸食によってもたらされた渓谷だ。川沿いには、マラカンド、サイドーシャリフ、マディヤンなど、遺跡と歴史の宝庫ともいえる集落が点在し、今回、ボクは一番奥の小集落カラームに幻のトラウトを求めて旅立った。
 フンザ、ギルギット、カシミール、チトラル……。カラコルム山脈からヒンドゥークシュ山脈一帯は中央アジア屈指のトラウトの宝庫として知られている。英国人の行くところトラウト有り、米国人の行くところブラックバス有りといわれるが、この地のトラウトも英国統治時代の置き土産。つまりはヨーロッパから移入されたトラウトである。だが、なにを隠そう、この地方には学術的に証明はされていないものの、トラウトの原生種が生息しているとの噂もある。
 ある文献には1893年に英国人のサー・ジョージ・クッケリルがカシミール調査中にフンザ川の支流でスノートラウトを捕獲したと記述されているし、別の文献にはベルトロ氷河のビアホ川で魚の隠れている岩に石を叩きつける石打漁でマウンテントラウトが大量に捕れたと記録されている。さらに、フンザ地方の氷河湖には黄金色に輝くトラウトが生息する、などと記述された古い文献もある。スノートラウトやマウンテントラウト、そして黄金色のトラウトがどんな姿形をしているのか写真が無いので不明だ。だが、トラウトをこよなく愛する英国人がナマズやコイをトラウトと間違えるとは思えず、ましてレインボートラウトやブラウントラウトと見分けがつかないとも思えない。学説では東南アジアにおける野生トラウトの南限は台湾の大甲渓に生息するアマゴに似たサクラオマスで、そこより西にトラウトはいないとされている。だが、探検家たちの記録を読む限り中央アジアの山岳地帯に野生のトラウトが生息していた可能性を否定できないのである。
 7月初旬、ボクは「アフガンゲリラや山岳民族が頻繁にトラブルを起こすので身の安全は一切保証しない」との、パキスタン政府当局の忠告にも耳をかさず、フライロッド片手にオンボロ・ワゴンを乗継ぎカラームの集落に足を踏み入れた。途中、自動小銃を構えた軍隊の検問ゲートが何カ所もあり、荷物や書類を徹底的に調べられるなど、臨戦態勢ともいうべき緊張がみなぎっていた……   
協力/ティムコ・ゴールドウイン
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